障害者ゴルフ写真集
by Seijo Sato
当会代表理事で写真家でもある佐藤成定が国内外を駆け回って撮影した障害者ゴルフの写真を掲載しています。
2015年末と2016年初頭には鹿児島の山形屋デパート及びNHK鹿児島放送局ロビーにて写真展を開催しました。インパクトのある写真が好評で、他の都市でも写真展を行いたいと企画中です。
会場を提供して下さる方やスポンサーを探しています。
2002年9月、テネシー州ナッシュビルのレジェンズゴルフクラブで開催されたNAGAチャンピオンシップに両腕が肘下からないプレーヤーが参加していました。幼い頃に鉄道事故で両腕を失った彼は、クラブのグリップにタオルをあてて両腕ではさみスイングをしていました。
それでも80台後半から90台ではラウンドしており、そのスイングは滑らかなものでした。カップに入ったボールも両手をすりあわせるようにして自分で拾い、何一つ障害を感じさせないプレーをしていました。
2001年、ボストン郊外のマーシュフィールドゴルフクラブにて。パトリス・クーパーという隻腕の女性ゴルファーに出会いました。癌のため左腕を切断した彼女は自分で工夫して作った義手をつけてプレー。片腕でしかも女性であるにもかかわらず、70台後半でラウンドする名プレーヤーでした。
NAGAチャンピオンシップの女性チャンピオンとして君臨し、その時の秋、来日して「日本障害者オープンゴルフ選手権」に参加を予定していましたが、9,11事件のため、来日を断念。それでもチャンスを見て日本に来る予定でした。
しかし、2004年に彼女のメンバーコースだったヘイゼルティン・ナショナル(ミネソタ州)でNAGAチャンピオンシップを開催した頃、癌が再発。抗がん剤治療の甲斐もなく、翌年の夏に帰らぬ人となりました。
その他にもアメリカにはたくさんの障害を克服した優秀なプレーヤーがいます。彼らの写真を下のアルバムにまとめてみました。
写真はクリックすると大きくなります。
★障害者ゴルフin USA
★障害者ゴルフIn France
2010年、DGAではフランス、パリ近郊で行われた「FRENCH INTERNATIONAL DISABLED CHAMPIONSHIP 2010」に5人の選手と3人の役員を派遣しました。
正式なヨーロッパ遠征はこの時が初めてです。
会場となったLe Nationalというコースはヨーロッパツアーのフレンチオープンも開催されたことがある難コースでした。日本では見られない深いラフや池絡みのコースレイアウトに日本選手はだいぶ苦戦しました。
乗用カートも数がなく、カートを利用できるのは下肢障害の選手に限られていました。前夜祭は夜の9時頃からカクテルタイムが始まり、終了は真夜中になります。翌朝は朝が早いのにそんなことは一向に気にせず、楽しそうにおしゃべりする参加者たち。アメリカの障害者ゴルフとは異なるヨーロッパの障害者ゴルフに初めて触れた記憶に残る遠征でした。
★障害者ゴルフIn Sweden
スウェーデンでは2008年から2年に一度 「Swedish Invitational」(スウェディッシュ インビテーショナル)という試合が行われていました。これは世界の強豪を集めて行う試合で大会名の通り、招待選手のみが参加できる試合で、参加資格には公式ハンデ12以下という決まりもあったと記憶しています。会場はスウェーデンの南部にあるマルメ市、ブックスクーゲンゴルフクラブでした。
2008年にスウェーデン在住の日本人の方から国際電話があり、日本からも優れた障害者ゴルファーを派遣して欲しいという要望がありました。その時には小林茂、池田勝彦の2選手を派遣。飛行機代や宿泊費のほとんどはスウェーデン側が負担してくれました。なんでもマルメ市に本拠を置くFIFTHという障害者スポーツ団体が主催し、マルメ市もスポンサーであると聞きました。
2011年にはパラリンピックの正式種目入りを目指して、試合の間にEDGA(ヨーロッパ障害者ゴルフ連盟)のメンバー国と日本、オーストラリアで各国団体役員の会議も開かれました。
試合も大きくなっており、個人戦と団体戦が設けられ、各国から3人〜4人の代表選手を派遣して欲しいとのこと。日本からも4人の代表選手が出場しました。
この時も前年のフランス大会と同様に前夜祭は夜遅くまで行われ、晩餐会の時間が長かった。ただ、マルメ市が後援しているため前夜祭は市庁舎の豪華なパーティルーム。歴史ある建物でヨーロッパの良き伝統を感じました。
試合は3日間で初日は晴れて暖かかったものの、最終日は終日雨の寒い1日。夏なのにセーターやブルゾンを着込まないと寒く、手も凍える日でした。しかし、日本チームは奮闘し団体戦では3位に入りました。