協会の歴史
日本障害者ゴルフ協会は1991年、埼玉県所沢市の国立身体障害者リハビリセンターの運動療法士長・水田賢二(現在、協会副理事長)が設立しました。当時の会の名称は日本身体障害者ゴルフ連盟。センターに入院していた患者の中から、「リハビリのためにゴルフをやりたい」という要望を受けて、敷地内に小さな練習場を作り、活動を始めました。
しかし、ゴルフ大会を計画しても、なかなか会場を提供してくれるゴルフ場がなく、活動はセンター内での練習に留まっていました。
1996年の初夏、日本身体障害者ゴルフ連盟に取材に来たジャーナリストの佐藤成定は大会に会場を提供してくれるゴルフ場がないことを聞いて驚き、さっそく、ゴルフ場のオーナーだった友人に頼んで大会の開催にこぎ着けました。水田が障害者のトレーニングに忙しく、大会準備をする暇がないのを見て、佐藤が事務局長として大会開催を手伝い、今日の日本障害者ゴルフ協会の基が築かれました。
「第1回日本障害者オープンゴルフ選手権」のポスターです。予算がないので佐藤成定が知り合いの会社などを駆け回って寄付を集め、制作しました。
「第1回日本障害者オープンゴルフ選手権」は1996年、11月26日、栃木県今市市(現・日光市)のウイングフィールドゴルフ倶楽部で開催されました。しかし、参加者は大会1週間前くらいまで、10人ほどしかおらず、運営側をハラハラさせました。最終的には水田賢二の育てたスキーや水泳などの障害者アスリートが参加。33人で大会は幕をあけました。
大会名は佐藤成定が障害者の日本オープンというコンセプトから「日本障害者オープンゴルフ選手権」と命名されました。
この大会で特筆すべきは日本で初めて、車いすプレーヤーがラウンドしたことです。「バギー」と呼ばれるタイヤの太い特殊な車いすを使用。グリーンを傷めないということでゴルフ場側もその車いすでのプレーを許可してくれました。
初冬に入ったやや肌寒い朝、車いすプレーヤーがゴルフ場で初めて打った第一打はきれいな放物線を描いて飛んで行きました。この模様はNHKテレビや朝日、読売、毎日などの新聞で全国に配信されました。
1997年に事務局長から代表理事となった佐藤成定は、早くから世界の障害者ゴルフ団体との国際交流を考えていました。
2000年には自費で渡米し、アメリカの3つの障害者団体を訪ねました。そのなかの一つがNational Amputee Golf Association。すでに60年近くの歴史を持つ切断者のゴルフ団体でした。
NAGAの役員から話しを聞き、その夏、カリフォルニア州のカーメルで開催された「NAGAチャンピオンシップ」にDGAから3名の選手と2名の役員が参加しました。
そこで目にしたものは驚きの連続。まずは競技が3日間54ホールで競われること。優勝スコアはアンダーで、上位10名くらいまでは1ラウンド平均70台でラウンドしているレベルの高さ。そして、障害をものともしない障害者ゴルファーの明るさでした。
両腕を切断した男性のスイング。ラウンド80台後半から90台前半で回る
アメリカでの見聞を日本の障害者ゴルフにも生かそうと、その年(2000年)の夏から「日本障害者オープンゴルフ選手権」は2日間36ホールの競技になりました。そして、アメリカから2名、オーストラリアから1名の障害者ゴルファーが参加。「日本障害者オープンゴルフ選手権」は国際交流大会となりました。
斉藤文夫日光市長を訪問した外国人選手達
同じ頃から、車いすゴルファーの使用するカートにも改良が加えられました。2000年に佐藤代表が渡米した時、アメリカでは自走式の車いすカートが使われていました。日本で使っていたのは前述したバギー。これは自走式ではないため、1台につき、最低2人のボランティアが付き、カートを押していたのです。
これでは思うようなラウンドが出来ないため、アメリカの車いす用カートを参考に、佐藤代表があるメーカーと共同でオリジナルカートを開発。ここから、車いすプレーヤーのラウンドは格段に進歩しました。
車いすプレーヤーはこのカートを使って自力でフェアウェイを走り、ボールを打つ時には椅子を90度回転させてスイングします。誰かにカートを押してもらうのではなく、マイペースでプレー出来るため、車いすプレーヤーの腕前も上がりました。現在では車いすの部の大会での優勝スコアは90台となっています。
2000年の第5回日本障害者オープンゴルフ選手権から競技日数が2日間36ホールプレーとなりました。海外の大会は最低でも2日間で、普通に3日間54ホールプレーも行われていたからです。1日だけの試合では運もあり、プレーヤーの本当の実力ははかれません。
日本では長い休暇を取ることが難しいためまだ実現していませんが、日本障害者オープンゴルフ選手権は近い将来、3日間54ホールプレーに移行することを考えています。
また、2005年からは日本障害者オープンゴルフ選手権に「グランプリの部」を創設しました。これは障害の内容を問わず(ただし、軽度障害ははずす)、公式ハンディキャップが15以下のプレーヤーに出場資格があります。一般の公式競技と同じようにスタートティはバックティ、ルールはJGAルールを適用。障害を越えて、真の障害者ゴルフ日本一を目指すプレーヤーのための部門です。
海外からもジェフ・ニコラス(オーストラリア)、ダン。コックス(アメリカ)、ステファン・モックフォルト(デンマーク)、ヨハン・カメルスタッド(スウェーデン)、ホアン・ポスティゴ(スウェーデン)、チャド・ファイファー(アメリカ)など優秀な選手が「グランプリの部」に出場。日本障害者オープンゴルフ選手権のタイトルを獲得しました。
最近の活動実績はこちらをご覧ください。活動実績2014-2020